現代日本における六本木と博多

 まずはじめに博多駅と東京駅の地図を載せておこう。

 

こちらが博多。

 

これが東京。

 

 

 同じ縮尺で表示されているのがポイントだ。移動させて見ていこう。ハハハ、福岡空港博多駅から近すぎ(電車で2駅5分)。まあこれは知ってる人は知ってるし驚きでもないかもしれない。でもこれはかなり重要であると思う。

 と書きながら東京駅周辺を見ていく。カオス。博多はヨーロッパの街の様にかなり区画の大きさ、建物の配置、種類が似通って街が出来上がっている。それに対して東京はメロンの網網みたいに道が急に折れたりするしなんだかつまった血管を見せられてる気分になる。そして御所とか外苑とかよくわからん大多数の市民と関係のない広大なスペースがある。

 そして鉄道の通る数もだいぶ違う。これも街を歩けば納得いくことと思う。さっきのつまった血管と関係するかもしれないが福岡を歩いても行き止まりがない。山手線沿いなんか行き止まりばかりである。

 とここまで挙げただけでも異なる対立する都市の様相がおわかりいただけるだろう。それで何も言うことはないのが情けなくはある。東京にもうつかれたし東京がどうなろうが知ったことではないからだ。せめて一つ言うとしたら東京の都市計画は東京駅周辺からもう破綻してるということだろうか。都市計画を学ぶ学生が何から教えられるのか全くわからないが、おそらく分析から今のようなプランを導いた学生はどうしようもない式を立て誤った計算をして結論を導いてしまったと評価されるのだろう。

 

 もう一つ文化という話に関連して言うと、文化という言葉には淘汰とか排他とか言う意味があるらしいのだが(あらゆる文化は排他的である)、それと絡めて言うと今の東京の文化はこうしたカオスの上に成立しておりそれが変わることはまず考えられず、六本木辺りの一息つける場所のなさに代表される東京のどうしようもなさは福岡の恵まれた都市環境とは天と地ほどの差があるということになるのである。それもあって題名は六本木にしてあります。

 

 

終わり