Teppanyaki 親子丼

 日本にいない間、2回程鉄板焼きへ行った。確か2回だと記憶してるが写真がホストブラザーの誕生日の時に行った分しかないのでわからない。記憶はどんどん不確かになっていく。そこの店員の方がドイツの人っぽかったのは覚えている。スイスにおけるドイツ人というのはなかなか微妙である(悪い意味ではないのだが話すといろいろややこしくなる)。というわけでスイスで日本人(見た目は日本人で話さなかったからわからないがたぶんそうだと思う)が目の前で料理する、店員さんは背の高いすごい格好いいドイツ人女性という鉄板焼き屋さんで鉄板焼きを食べた。スキーと同じでそれ以来鉄板焼きも行っていない気がする(お好み焼き屋は連れて行ったので行ったのだけど)。

 

 海外で食べる日本料理はメニューが日本語ではないことがほとんどだと思うのだが、これによって、今食べているのは海外の日本料理だという刷り込みが生まれる。日本だと親子丼が例えばパリで食べたから例にするがOyako−donだかになる。あれは可笑しい。それはおいて、海外で食べる日本食は頭の使用する箇所が異なる。それはそこで同じように料理した経験の欠如による。つまり土地勘もスーパーでどんなものをどんな時に買っているか仕入れはどこかなどいった、生活者としての情報がない。そのまま1回日本の料理をなんとかつくる。何か違う。これは日本では出来上がらない。

 これはおそらく日本と海外が非対称であるからだと考えている。日本ではAをある何かと合わせるとBになるのが、どこか違う場所で同じAを同じ何かに合わせたつもりでなぜか違うCが出来てしまう。それは景色かもしれないし、空気かもしれないし通りの喧騒のせいかもしれない。とにかく何かのせいでそれは違う何か別のものになる。行かないとわからない、あの類の原因と同じなのかもしれない。

 

 思い出すとそういった店の様子というのは意外と覚えている。行き帰りの電車や車の中はサッパリなのだけど。